とあるアルフィスタのある日。 くるまとわいんのスローライフな日々。

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Author:k5
イタリアに住んで十年余。
自動車のデザイン会社で働きながら、好きで集めたミニカーの紹介を中心に、アルファとワインの話を日々の生活の風景を織り交ぜて。

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FIAT500、還暦祝う。
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MoMAにアート作品として収蔵される
FIAT500が7月4日に60歳の誕生日を迎えた

それを祝う、映画かドラマ風のCMスポットが制作された。
ストーリーがバック・トウ・ザ・フューチャーみたいで、
ミラノが舞台なのにセリフは英語。笑

しつこい程同じフレーズを繰り返すBGMは、
「COME PRIMA」つまり❝LIKE BEFORE❞と謳っている。




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INNOCENTI            イタリアン・ブランドの帰還
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logo-innocenti.jpg 

今から70年前フェラーリが公道車の生産会社と興したとき、
同じ年のミラノでイノチェンティが誕生した。

やがてその活動を終えた1997年から丁度20年が経ち、
歴史あるイタリアン・ブランドが復活する。
20年前に頓挫したスタイルの革新という夢を
再び取り戻す目標を掲げて。

戦後すぐロンバルディアの州都であるミラノで創業した
創始フェルディナンド・イノチェンティはトスカーナ出身。
だがブランドの再生の地はパレルモになるという。

ベルトーネ製のボディを換装したイノチェンティ・ミニや、
スクーターのランブレッタで知られるこのブランドを、
再び世界でも市場を席巻しうるべくペロッタ・ファミリー、
 Industrie Riunite SpA, Euro Mobile International B.V.,
 Finambiente Group SpAが、アイデアの実現を目指す。


70 Years of Emotion
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1947年3月12日,
フェラーリ最初のプロダクションモデル125Sが、
エンツォ自らの運転で、マラネロのアベトーネ通りに面する
本社の正面ゲートからラウンチされた。
以後フェラーリの全ての車の第一号は彼によって起動される。

下の70周年を記念した限定車ラ・フェラーリ・アペルタ・
70゜anniversarioと125Sのオマージュ動画である。

古くからのフェラーリファンには感慨深いものがあるのではないか。





猛牛の父、PAOLO STANZANI 逝く。
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2017年最初の記事は訃報。

ミウラの父として知られるパオロ・スタンツァーニ氏が亡くなった。

polostanzani81.jpg 

1936年ボローニャ生まれ。

60年代初めにボローニャ大学で働くも創始フェルッチョに誘われ、
エンジニアとして1963年に・ランボルギーニ社に雇われる。
350GT、400GT、イスレロ、そしてミウラの開発に関わる。
1967年にテクニカル・ディレクター兼ジェネラル・ディレクターに就き、
カウンタック、エスパーダ、ハラマ、ウラッコを誕生させる。

フェルッチョが自社を売却すると、彼も退社しブガッティ社の復活と
EB110のプロジェクトに参加。後にミナルディの活動に協力する。

そして今、彼の元雇い主、故フェルッチョと共に何を語っているのだろうか。

偉大なる技術者の冥福を祈る。


アホ・エルカンww
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毎度お騒がせなラポ・エルカン、御大アニエッリの孫でフィアット・インディペンデントの代表。

04122016-lapo.jpg 

今回は滞在先のNYでアルコールやドラッグ三昧で持ち金を使い果たし、
狂言で自信が誘拐されたとし家族から身代金1万ドルを要求、
更なる薬物等の購入に充てようと企てたという。

フェラーリの次期社長とも噂されてる人物。
本人はバカだけど、彼をそのポストに推す廻りの人間もバカですねー。